2020年2月の記事一覧 | ひびのあしあと

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わたしは、わたしたちはきっと、どこにでもいる特別な存在。

表現の自由と批判について

twitterを見ていると、「批判をするなら法的根拠を」求める人がちらほらいるんだけど、これめちゃくちゃ危ないからやめてほしい。
そもそもなんだけど、1990年代に「自主的に話し合い規制していくので法律や警察が取り締まるのはやめてください」って訴えてるのね。ざっくり→Wikipedia
表現の自由はとても危ういもの。だれが見てもこう! っていうのは、もともとない。「批判するなら法的根拠を示せ」というのは、その曖昧なものに線を引けと言うようなもの。
じゃあ引けばいいって思う? それをやめてくれって訴えてきたんだよ。だから「法的根拠」なんてあるわけないの。あるものはもう出せないの。
法的根拠を求めて、じゃあ法律を作りましょうかってなったら、表現の自由は死ぬの。だからやめてくれ。

もうちょい言うと、表現の自由を守るのは「国」であって、個人が個人の表現を批判するのは禁止されていない。まあ~ここを間違えて、個人が個人を中傷しているのはちょいちょい見たけど。
これはやめてほしいと言うのは、表現の自由を侵害しているとはいえないんだな。批判を受けてどうするかも表現者の自由です。企業であればどうすればプラスか、あるいはマイナスが少なくて済むかで判断すると思う。売上だけじゃなくてイメージの上下も考慮してさ。

今、 「誌外戦―コミック規制をめぐるバトルロイヤル」 (リンクはAmazon)を読んでいる。個人的にはこの本そのものにも思うところはあるが、そういう時代だったということで横に置く。
この本で、漫画家さんたちが訴えていること。
・性に関心を持つことは悪いことではない。むやみに規制しても意味がない。
・それよりも性教育を徹底すべき。

まったくもってその通りだと思う。
表現の自由を守ると息巻いている議員さん、ちらほらいる。だけど性教育についてはあまり語っていない様子。この一冊でいいからまず読んで、かつて漫画家がどう戦ってきたか、どうせよと訴えてきたのか、ちゃんと学んで考えてほしい。オタク票欲しさに「表現の自由」を掲げているように見えてしまうよ。
※オタクって漫画やアニメだけじゃないのはわかっている。ただ、昨今、単にオタクというとほとんどの場合で漫画・アニメ(たまにゲーム)オタクを指す。 これもなかなかモヤモヤするよね。

ポスターについて考える

未だにラブライブ!のポスター撤去問題について考えている。
そもそもなんだけど、あれは「表現の自由」を争点にするからおかしい。なにが悪かったのか、なぜ撤去されたのか。
スカートの表現(短すぎ・謎の影)が悪かったのはもういうまでもないので省略する。撤去された理由は、単に「このまま掲示していると余計なコストがかかる」ではないか。
このコストとは、労働力のことを指す。
ポスターの目的である商品・みかんの広報・販売促進については、早々に結果が出た。作品のファンを中心に話題が広がり、今後再販したとしても、しばらくは売れ続けるだろう。収入は確保した。
しかしポスターを掲示し続ければ、批判も続く可能性が高い。ここで考えたいのは、沼津市民の生の声である。
これはポスターなので、当たり前だけど、沼津市民が目にする。そして当たり前だけど、沼津市民全員がtwitterをやっているわけではない。沼津に限らず、twitterをやっている人なんて、多くて五人に一人くらいじゃないか。知らんけど。
そしてtwitterをやっている沼津市民のなかにもラブライブ!にちょっと辟易しているらしいかたがいる。twitterをやっていない・ラブライブ!に批判的な人はもっといるはずだ。見えないだけで。
もちろん、twitterをやっていない・ラブライブ!に好意的な人もいると思うよ。あと、よくも悪くも思わない人もいる。
さておき、オフラインでもこのポスターに異議を唱える人がいてもおかしくない。下手をすれば、掲示している施設のスタッフのなかにだって、不快感を覚えた人がいたかもしれない。
掲示し続ければイメージが悪くなり、批判も続く。クレームが来ればその対応に労力を使う。これは想定外の出費だ。
だったら撤去したほうがいいよね。

やっぱりこれは、作り手が悪い。広告を作成した人はプロであると考えられるからだ。なんでもそうだけど、プロであれば過去に学ぶことは必須だ。過去、どのような表現がどういう批判をされ、どういった対応を迫られたのか。プロであれば知っておかなければならない。
そのうえで「批判されてもいい、どうしてもこの表現がいい」というのであれば、それは「表現の自由」だろう。
今回のみかんのポスターは、そうではなかった。不用意な表現であった。

信念と覚悟

表現の自由、なんてみんな軽々しくいうけれど、その表現で傷ついた人にも自由という暴力をぶつけてしまう、ネット上ではそんな光景をよく見る。
自由とは「なにをしてもいい」という意味ではない。
だれかを傷つけてしまう可能性は常に念頭に置いておかねばならない。だけどどんな表現がだれを傷つけるのか、すべてを知ることはできない。
考えろ考えろ。人はどんなときに傷ついてしまうのか。よく見ろ観察しろ、人がどんな顔して暮らしているのか。表現者ならそれくらい当たり前だろう。
作品が批判される。当たり前だ。観客なんて好き勝手いうんだ。だけど目を背けるな、耳をふさぐな。結果ときちんと向かい合え。批判の取捨選択は作家の仕事だ。
これがいいんだという信念、どんな批判も受けるという覚悟。表現に必要なのはそれらじゃなかろうか。
「表現の自由だ」なんて批判者の口をふさいでいるうちは、表現なんかできねえよ。

学級プリンス

ギャグ漫画
舞台はどこにでもあるふつうの公立小学校
四~五年生 もともといじめがある

主人公は次期国王を自称する転入生
変わり者として白い目で見られるが気にしない
国王たるもの、すべての民に公平に接する
弱きを助け強きをくじく 困っている者には手を差し伸べる
いじめの標的にされるも屈しない
国の未来を背負う者として勉学には熱心に励む
変わり者だけど紳士的なので女子からは人気がある

悩んでいるところ
・家庭環境
 →本当にどこかの国の次期国王
 →ちょっと裕福なだけのふつうのご家庭
・弱点
 →なんかほしい

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