安楽死・尊厳死について | ひとりあるき

安楽死・尊厳死について

本日二回目の更新。先のが不真面目だったわけではないけど、よりいっそうまじめな話をするよ。

このニュースをきっかけに、安楽死・尊厳死について話題になっています。
この事件自体の問題はほかにもあるのですが、ここでは安楽死・尊厳死について考えていこうと思います。

結論としてはこれ。

生きる権利を守る社会にすること」が最も近道。

twitterでざっと見た感じ、安楽死・尊厳死に対する意見はこんなかんじ。

賛成派
・苦しみは本人にしかわからない。死にたいというなら死なせるべき。
・自由がきかなくなったとき、周りに迷惑をかけたくない。
・生きる権利があるなら死ぬ権利もほしい。

反対派
・悪用される恐れがある。
・介護が必要になったとき、死を(暗に)強要される恐れがある。

悪用される恐れというのは、自ら望んだ安楽死に見せかけた殺人が起こりかねないこと。今回の事件は、医師の優生思想が絡んでいるとも言われています。
この思想は断固として批判・拒絶しなくてはならない。が、安楽死・尊厳死の是非の根拠にこれを持ってくる人は多くないのでおいておく。

わたしは、現時点では反対派です。なぜなら今の日本では、本人の真意をきちんと測るだけの能力がないから。

「真意」って難しいです。「生きたいか、死にたいか」というだけの話なんだけど、そもそも安楽死を選ばざるを得ない状況って病気や障害で生きることが過酷な状況であって、要因さえクリアできれば「生きたい」人は多いと考えられる。

・痛みや苦しみがなくなれば生きたい。
・家族の経済的、労力的負担がなくなれば生きたい。

反対派に多いのは、「経済的・労力的負担が大きくなった家族から『死んでくれ』という圧力がかかる」という意見。
高齢化が進む現代の大きな問題です。が、経済的・労力的負担が大きければ、どんな家族も安楽死してほしいと思うのでしょうか。
答えはもちろん、NOですよね。

わたしが考えるに、最も危惧すべきは、家族は心底から生きていてほしいと願っているのに、患者が「本当は生きたいけれど、家族はわたしを迷惑に思っているに違いないから、死ぬ」という選択をしてしまう可能性。そんなことだれも思っていないのに、疑心暗鬼に陥って、最悪の選択をしてしまう。
日本は同調圧力が強いし、忖度という一種の文化もある。それが過剰に働けば、十分にあり得ることです。
「みんながどう思っていようと、わたしは生きたいから生きる!」‥‥と貫ける人は、そう多くないと思うんですよ。ましてや体の自由がきかない状況ではね。

迷惑をかけて当たり前、って考えられることも大事だと思う。今の日本って自己責任論が跋扈してるじゃない? 自分のことは自分でなんとかしろ、みたいなさ。生きることが困難になっている。
自分のことは自分で決める、って宣言できたらかっこいいけどさ、失敗したときに助けを求められないのがわかっちゃってる。そうすると周りの目を見て、なんとなく許される範囲で生きようとする。
そういうのも、同調圧力を強くする要因だよね。

今の日本で、安楽死・尊厳死の議論はできないと思っている。社会福祉が発展途上で、「生きる権利」が守られているとは言いがたいから。

「こんな夜更けにバナナかよ」にこんなセリフがあった。

「障害者の世話は家族がするのが当たり前っていうこの国の常識に、ささやかながらおれも抵抗しているわけよ」

映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」より

二十年以上前の出来事でありながら、この常識は今もあんまり変わっていない。なんなら憲法改正して「家族の問題は家族で解決してね」っていう方向へ向かおうとしている。

(参考:多様な家族を認めない「憲法24条」改憲案。育児や介護の負担増、結婚・離婚も不自由になる?!― 山口 智美 さん – BIG ISSUE ONLINE

それ、めちゃくちゃ負担じゃんな!

関係が近ければ近いほど負担がかかるし、患者はそれを目の当たりにするわけですよ。

経済的・労力的負担を限りなく軽減できれば、安楽死賛成派の「周りに迷惑をかけたくない」と、反対派の「介護負担による安楽死の強要の恐れ」は解決できる。とすれば、「生きる権利を守る」ことが、やはり先決なのだと思う。

そして、自分の意志を、だれに気遣うことなく主張できる環境。同調圧力に屈せず、忖度もせず、生きたいなら生きたいと、だれもが自分の気持ちをはっきり言える環境を構築することが必要。

しかしながら、病気や障害による途方もない苦痛は、医学が発展しない限りどうしようもない。終わりのない苦しみに絶望して死を選ぶというのはまったく理解できないことではない。
今回の事件で亡くなられたのは、そういうかたでした。

実際考えるよ。介護職だからね、毎日、その日を待つだけの利用者さんと接しているわけです。学校でもそういう話題はもちろんあったし、入職の面接のときにもこういう問いかけがありました。
「なにができるわけでもなく、ただ死を待っている。そういう生活って、どうなのかしらね」
どうなんですかね。わたしは、今は生きたいと思っているけれど、当事者となったらきっと意見は変わる。

いや、変わらないかもしれない‥‥やっぱり、まだわからないな。

生きる権利を守ること、すなわち他者を気にせず生きることを選択できる社会になること。それを経て、最終的には、日本でも安楽死・尊厳死が選択できるようになれたらいいよね。

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