ひびのあしあと | たくさん歩けばたくさん残る

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雨ざらしの秘密

『「表現の自由」の守り方』を読んだ

ずっと前に購入していたのだけどやっと読んだ。買ったきっかけは表現の自由について考えたいからだったけど、読もうと思ったきっかけはなんだったかな‥‥ああそうそう、これだ。

「政治的中立性」ってなんだよってのと、こういった展示会の後援を行政が断る背景ってなんなんだろうっていう疑問。
あいちトリエンナーレの騒動が尾を引いているのかと思ったけど、以前からのことのようなのでどうやら違う。
どちらにしても、行政(権力)側が政治性を理由に承諾する・断るを判断するのはよくないなあと思う。表現の自由に影響が出る。

とにかくそれでようやく読んでみようとなったんだけど、まあ~落胆した。これで守られたのは表現の自由ではない。コミケだ。
コミケを守ることが悪いと言っているんじゃない。コミケを守っただけのことを、表現の自由を守ったと言ってしまっていることがよくない。
そもそも、なにを問題として表現の規制がされようとしているのかの認識が間違っている。

この本。まず謎の小説から始まる。
小説の舞台は表現が規制されたif日本。主人公は一応はプロデビューを果たした女性漫画家。しかし表現規制により思うように作品を発表できない。
もうね、ここから認識が違うの。
・女性の作品のテーマは「家族からの虐待」「義父からの性的関係の強要」なんだけど、これが原因で、出版社から「うちからは出せない」と言われてしまう。
・女性の人権を守るための規制のせいで、同じ女性である自分が職を失い、国を追われようとしている。

はあ~理解してないんですねって感想。

もし表現規制が進んでも、テーマがこれってだけの理由で規制されることはないでしょう。規制されるとすれば、虐待や性関係の強要を美しく肯定的に描いてしまった場合です。
そしてよく言われることですが、「女性の人権活動家が批判している仕事をしている人の中にも女性はいる」っていうやつ。だからなにって話なんだよね。
男性はそれが男性というだけで、間違ったことをしている人を許すのでしょうか。
もっとも、この物語の場合は作品を規制された理由に納得がいかない。この女性漫画家が批判されるいわれはない。現実の訴えをねじ曲げて利用し、女性の人権活動家をあたかも主人公の敵かのように描いている。
まあ~ひどい。

児童ポルノについて。
実在しない児童は守られるべきなのか否かという話なんだけど、これ、先に”外圧”とやらの話をすると見方ががらりと変わるんだよね。
まずね、国連人権理事会の意見を、意図的なのかなんなのかわかんないけど、若干ねじ曲げているの。
154Pより
 現実の加害行為が行われていないにしても、ヴァーチャル児童虐待記録物によって児童に対する性虐待を許容するような内容が示されることで、そうした行為に対する破壊の許容度を上昇させてしまう(国連人権理事会 特別報告者マコド・ド・ブーア=ブキッキオ氏)
が、
 マンガ・アニメ・ゲームで架空の児童の虐待が描かれると、児童の虐待行為を社会が許容するようになってしまう、とブキッキオ氏は主張している
と言い直している。
見比べてもらえばわかると思うけど、意味がちょっと違うよね。

「風と共に去りぬ」がなぜ問題になったのか。奴隷文化を肯定的に描いていたからだ。では性虐待の描写が問題になるのはどういうとき? 肯定的に描いたときでしょう。
著者の解釈では「許容するような内容が」が省略されている。そしてそれはそのまま、冒頭の小説に反映されている。
まったく間違っています。

さて、ブキッキオ氏の言い分を理解してからページを戻り、児童ポルノ禁止法について考えると、なるほど、実在しないからといって許容するわけにはいかないようだ、となる。
じゃあなぜこの順なのか。問題の本質を理解させたいのではない、あくまでコミケを守るために、自分の意見が正しいように見せかけたいだけなのだとわたしは感じた。さすがですね。
もっとも、ここでの著者の言い分、本来は実在する児童を守るための法律というのは正論ですし、具体的に働きかけたのは功績です。

コミケを守りたいだけと感じた理由は、一次創作者に対する配慮が感じられないから。著作権非親告罪化がもっぱら二次創作について語られている。
たしかにコミケや同人誌即売会は二次創作が占める割合が多いようだけど、もともとグレーなわけだよ。さまざまな事情があって黙認されているわけだよ。
でもなんか、この本だと「二次創作が漫画文化を支えてきた」とでも言いたげ。もうちょっと、こう‥‥配慮できなかったのか。一次創作者に対するメッセージはないのか。
言葉は選べという話」で触れたはてブの記事、言葉選びはアレだけど、訴えたいことには共感する。作者それぞれが自分の作品への気持ちを、もっと言えるようにしてほしい。
そうしないと「二次創作されたくなかったら発表するな」がまかり通るようになるぞ。冒頭の小説の日本よりもっと近いぞ。

これは悪口ですが、おおよそが著者の「言質取ったぜ!」「言ってやったぜ!」みたいな武勇伝で胸焼けがする。
あと自民党の改憲案、本当にダメダメだな。なんで憲法が国民の権利を制限するんだよ。憲法は国の権限を制限するものだぞ。そこ間違えるな。
ついでに議員どもよ、民間の創作物を一国民が批判しているだけのことにいちいち「わたしは支持します」とか意見しなくてよろしい。ツイッターって同じ意見の人が集まりやすくて、そうするとリツイートやいいねで盛り上がりが数値で出るから錯覚するんだろうけど、どんな批判であれ一国民の個人的な感想だ。
引き換えあなたたちは権力側だ。憲法で縛られる側だ。国民の持つ表現の自由を保障しなくてはいけない側だ。支持して当たり前だ。

というわけで、肝心の「表現の自由」についてはろくろく学べなかった。
まあ四年も前の本だし、今は著者も所属が違う。多少はアップデートされただろうか。児童を守るとかには熱心に動いているようだし、そういう方向で期待したい。

カルラとアルキメデス

・ファンタジー
・人類が減少し、獣人が支配する世界
・カルラは数少ない人類の生き残り。なにかと色眼鏡で見られる。
・アルキメデスはフクロウの獣人。獣人の中でもフクロウは賢いとされるが、同時になにかと蔑視される。

pattern01)未来。かつて人類が開発したシステムを修理するため、アルキメデスは僻地で隠れるように暮らしている人類を訪ねる。そこで出会ったのがカルラだが、人類だからといってシステムがわかるわけではない、人類をここまで追いやったのはそちらなのになにを都合のいいことを、と一蹴。
システムが動かなければ世界は危機に瀕する。目的を果たすため、アルキメデスは奮闘する。

pattern02)現代。カルラは市役所に勤めている。しかし人類は被差別種族であり、多の種族からは特定種族雇用法対策と見られ、不当な扱いを受けている。
そこへ新採用されたアルキメデスが配属となる。本来夜行性の種族であるアルキメデスも昼は役に立たないと偏見を持たれるが、カルラを初め、能力を正当に評価してくれる人たちに囲まれ、すこしずつ力を身につけていく。

pattern03)過去。アルキメデスの育った里では呪いやたたりなどが信じられている。十になるくらいのころ、不作による飢饉に見舞われ、妹を失った。儀式のための生け贄に選ばれたためだが、フクロウの獣人である一家に対する嫌がらせだろうとアルキメデスは疑っている。里に対して不審を抱き、成長すると里を出たい一心で旅に出た。
ひょんなことからカルラと出会い、身の上話をすると、生け贄の迷信に反応を示される。忌むべき根拠のない風習であると非難するカルラと、同意はするも里を恨む気持ちが強く助けたくないアルキメデス。
里は再び飢餓にあえぐ。


これ最後のやつ獣人である必要ないな。

表現の自由→倫理

表現の自由についてまだまだ考えている。

一つ目のツイートはリツイートさせていただいているんだけど、まあリプライにも勘違いしたのがいくらか散見されるね。
ざっくり調べ直したんだけど、憲法は「国民が決め国が守るもの」、法律は「国が定め国民が守るもの」。
国民はだれのことかわかるよね。じゃあ国ってだれかって話なんだけど、権力者、公務員。政治家はその代表だよね。
表現の自由は憲法で保障されているんだから守れ! というのを、一国民に言うのはおかしいのよね。

表現の自由についてtwitterをリサーチしてると、未だに「ラブライブ!」のみかんのポスターや、これまでわたしは触れていなかったけれど、年末にあった赤十字の献血ポスターの話を引きずって、「フェミニストがこれらを撤去させた」なんて言っている人たちが多い。そのなかに議員が含まれているから頭を抱える。
本人たちは論理的に話し、冷静に訴えているつもりなのかも知れない。でもわたしの目には滑稽に映る。
表現の自由を訴える場面はほかにもあったんだよ。厚生労働省の「人生会議」のポスターは一日で撤去されているし、映画「バイバイ、ヴァンプ!」も批判を浴びた。「サラッサラのツヤッツヤになりたい」のポスターも対応が早かった、助成金の取り消しがなされた映画「宮本から君へ」なんて、まさに国が表現に口を出しているじゃないか。なぜ議員たちはそれらに触れず、いつまでも「ラブライブ!」と「宇崎ちゃん」なのか。
もうちょっというと、「ぼくのヒーローアカデミア」の騒動も絡めてたりはする。悪役の名前が、かつての悪意ある隠語だったというアレだ。
とにかくその三点ばかり。なぜなのか。

だいたい察しはつく。
○コンテンツが漫画・アニメ・ゲームであること
○批判者がフェミニスト、あるいは外国人であること
これだろう。

いちおう断っておくと、彼ら(表現の自由を守れと声高に叫ぶ人たち)がフェミニストと呼んでいる人たちは、必ずしもフェミニストではない。なぜなら彼らの基準はとっても雑で、「自分の好きなコンテンツにケチをつける女性はフェミニスト」なのだ。実際に批判をした人がフェミニストかどうかは、はて、定かではない。
批判するやつ=フェミニスト、としておくのは楽だよね。

フィクションとノンフィクションの区別がつかないんですか、なんてあおりをよく目にする。フェミニストとそうでない人の区別もつかない人に言われてもね~その批判が表現に対するものかコンテンツへのものなのかの区別もつかない人に言われてもね~ってところ。
多くの場合、フェミニストはコンテンツを批判していない。表現方法がポスターにそぐわないと言っているだけだ。なにも難しくはない。

まあとにかくだね、日本国内において嫌われやすい属性の人たちが自分の好きなコンテンツを批判している。批判者を敵認定し、騎士のように振る舞えば、そりゃあ称賛されるでしょうよ。
滑稽だよね。
でも国民の総意だと思わないでくれ。表現者の総意だと思わないでくれ。よくない表現は批判され、改善されていくべきだ。すくなくともわたしはそうしてほしい。下手に擁護されたくない。ましてや批判した人を怒らないでほしい。
確固たる信念を持って、覚悟を持って書いたなら貫くよ。そうじゃないなら恥ずかしいよ。ズボンのチャック開けっぱなしなのを指摘してもらったのに「失礼だ!」なんて言わないでしょ。

批評を受けて作品をどうするか、それも表現者の自由じゃないだろうか。表現者が修正すると決めた、撤去すると決めたとき、表現の自由を守ると言う人たちがその選択を批判するのはなぜだろう。

さて、表現の自由を保障しているのは憲法だから、国民は他人の自由を守らなくてよいかといえば、もちろんそんなことはない。基本的にはやはり自由でなくてはいけない。
ただ、出版でも放送でも広告でも、協会があり倫理がある。そもそも社会そのものに規範、倫理がある。その倫理にもとる内容であれば批判を受けるのは当然だ。じゃあ、倫理ってなんだろうか。
すこし倫理をかじろうと思う。じっくり学んでいる余裕はないかもしれないので、かじる。

こうしてまた資料が増えるのであった。

表現の自由を守れ~フェミは敵だ~みたいなことをわめいていた議員さんたちがツヤッツヤのサラッサラとか宮本から~とかはガン無視なの、本当、あなたたちの表現は都合がいいですねって気持ち。

これがなぜだめかわからない人もいるみたいだけど、これはだめだよ。
なんというか、作り手のゲスい気持ちがにじみ出ているんだよ。あーいい写真あった、こういうコピーをつけたらウケそう、みたいなさ。
ウケを狙うのは悪くない。ただ、やるなら自分でモデルを用意して撮ったほうがいい。

そこまで配慮しなきゃいけないのかって言ってる人がいるけど、配慮じゃないよ。配慮ってなんだよ。ネタにしないであげましょうねってこと? それおかしいよね、何様だよって話だよね。
問題ないって言ってる人が出てきたけど、問題あるかないかを決めるのはサービス提供側(この写真はストックフォトの素材)なので、勝手に判断したらまずい。
こういう問題に関して日本は遅れているので、あちらの感覚でOKかNGかを、わたしたちは判断できない。

とりあえずそういうのを抜きにして、わたしも、この広告はだめだと思った。

わたしは、わたしたちはきっと、どこにでもいる特別な存在。

表現の自由と批判について

twitterを見ていると、「批判をするなら法的根拠を」求める人がちらほらいるんだけど、これめちゃくちゃ危ないからやめてほしい。
そもそもなんだけど、1990年代に「自主的に話し合い規制していくので法律や警察が取り締まるのはやめてください」って訴えてるのね。ざっくり→Wikipedia
表現の自由はとても危ういもの。だれが見てもこう! っていうのは、もともとない。「批判するなら法的根拠を示せ」というのは、その曖昧なものに線を引けと言うようなもの。
じゃあ引けばいいって思う? それをやめてくれって訴えてきたんだよ。だから「法的根拠」なんてあるわけないの。あるものはもう出せないの。
法的根拠を求めて、じゃあ法律を作りましょうかってなったら、表現の自由は死ぬの。だからやめてくれ。

もうちょい言うと、表現の自由を守るのは「国」であって、個人が個人の表現を批判するのは禁止されていない。まあ~ここを間違えて、個人が個人を中傷しているのはちょいちょい見たけど。
これはやめてほしいと言うのは、表現の自由を侵害しているとはいえないんだな。批判を受けてどうするかも表現者の自由です。企業であればどうすればプラスか、あるいはマイナスが少なくて済むかで判断すると思う。売上だけじゃなくてイメージの上下も考慮してさ。

今、 「誌外戦―コミック規制をめぐるバトルロイヤル」 (リンクはAmazon)を読んでいる。個人的にはこの本そのものにも思うところはあるが、そういう時代だったということで横に置く。
この本で、漫画家さんたちが訴えていること。
・性に関心を持つことは悪いことではない。むやみに規制しても意味がない。
・それよりも性教育を徹底すべき。

まったくもってその通りだと思う。
表現の自由を守ると息巻いている議員さん、ちらほらいる。だけど性教育についてはあまり語っていない様子。この一冊でいいからまず読んで、かつて漫画家がどう戦ってきたか、どうせよと訴えてきたのか、ちゃんと学んで考えてほしい。オタク票欲しさに「表現の自由」を掲げているように見えてしまうよ。
※オタクって漫画やアニメだけじゃないのはわかっている。ただ、昨今、単にオタクというとほとんどの場合で漫画・アニメ(たまにゲーム)オタクを指す。 これもなかなかモヤモヤするよね。

ポスターについて考える

未だにラブライブ!のポスター撤去問題について考えている。
そもそもなんだけど、あれは「表現の自由」を争点にするからおかしい。なにが悪かったのか、なぜ撤去されたのか。
スカートの表現(短すぎ・謎の影)が悪かったのはもういうまでもないので省略する。撤去された理由は、単に「このまま掲示していると余計なコストがかかる」ではないか。
このコストとは、労働力のことを指す。
ポスターの目的である商品・みかんの広報・販売促進については、早々に結果が出た。作品のファンを中心に話題が広がり、今後再販したとしても、しばらくは売れ続けるだろう。収入は確保した。
しかしポスターを掲示し続ければ、批判も続く可能性が高い。ここで考えたいのは、沼津市民の生の声である。
これはポスターなので、当たり前だけど、沼津市民が目にする。そして当たり前だけど、沼津市民全員がtwitterをやっているわけではない。沼津に限らず、twitterをやっている人なんて、多くて五人に一人くらいじゃないか。知らんけど。
そしてtwitterをやっている沼津市民のなかにもラブライブ!にちょっと辟易しているらしいかたがいる。twitterをやっていない・ラブライブ!に批判的な人はもっといるはずだ。見えないだけで。
もちろん、twitterをやっていない・ラブライブ!に好意的な人もいると思うよ。あと、よくも悪くも思わない人もいる。
さておき、オフラインでもこのポスターに異議を唱える人がいてもおかしくない。下手をすれば、掲示している施設のスタッフのなかにだって、不快感を覚えた人がいたかもしれない。
掲示し続ければイメージが悪くなり、批判も続く。クレームが来ればその対応に労力を使う。これは想定外の出費だ。
だったら撤去したほうがいいよね。

やっぱりこれは、作り手が悪い。広告を作成した人はプロであると考えられるからだ。なんでもそうだけど、プロであれば過去に学ぶことは必須だ。過去、どのような表現がどういう批判をされ、どういった対応を迫られたのか。プロであれば知っておかなければならない。
そのうえで「批判されてもいい、どうしてもこの表現がいい」というのであれば、それは「表現の自由」だろう。
今回のみかんのポスターは、そうではなかった。不用意な表現であった。

信念と覚悟

表現の自由、なんてみんな軽々しくいうけれど、その表現で傷ついた人にも自由という暴力をぶつけてしまう、ネット上ではそんな光景をよく見る。
自由とは「なにをしてもいい」という意味ではない。
だれかを傷つけてしまう可能性は常に念頭に置いておかねばならない。だけどどんな表現がだれを傷つけるのか、すべてを知ることはできない。
考えろ考えろ。人はどんなときに傷ついてしまうのか。よく見ろ観察しろ、人がどんな顔して暮らしているのか。表現者ならそれくらい当たり前だろう。
作品が批判される。当たり前だ。観客なんて好き勝手いうんだ。だけど目を背けるな、耳をふさぐな。結果ときちんと向かい合え。批判の取捨選択は作家の仕事だ。
これがいいんだという信念、どんな批判も受けるという覚悟。表現に必要なのはそれらじゃなかろうか。
「表現の自由だ」なんて批判者の口をふさいでいるうちは、表現なんかできねえよ。

学級プリンス

ギャグ漫画
舞台はどこにでもあるふつうの公立小学校
四~五年生 もともといじめがある

主人公は次期国王を自称する転入生
変わり者として白い目で見られるが気にしない
国王たるもの、すべての民に公平に接する
弱きを助け強きをくじく 困っている者には手を差し伸べる
いじめの標的にされるも屈しない
国の未来を背負う者として勉学には熱心に励む
変わり者だけど紳士的なので女子からは人気がある

悩んでいるところ
・家庭環境
 →本当にどこかの国の次期国王
 →ちょっと裕福なだけのふつうのご家庭
・弱点
 →なんかほしい

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