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インボイス制度に反対しています
以下の文章はtwitterで呟いたものを再編集しております。
インボイスに反対してる人は消費税を理解していない、輸出企業への消費税還付は輸出は免税だから還付されているだけ、というtweetを見てしまい、(いやいや消費税還付がそういうシステムだというなら免税事業者が消費税納付しなくてもいいのもそういうシステム〜)ってなった。
だから消費税を理解した上でも同じ結論になるし、インボイスに賛成している人の言い分「消費税は公平負担」への反論「そもそも消費税は不公平な税」という主張が読めていない。
消費税はとことん不公平な税です。
あと「富裕層に課税したら富裕層が外国に逃げる」ってtweetも、だれからの受け売りなのかしらね、自分の頭でよく考えなさいよと思う。
納税しない富裕層を引き留めてどうするのよ。
だいたいたかが納税を忌避して海外移住する人はもう外国へ行ってると思うよ。円なんか選ばない。なぜなら超円安だから。
ドルが強いだけだという人もいるけど、たしかにドルは強いけど円が安いのも事実なんですよ。お金が大事なら、海外でも稼ぐ能力があるなら、そんなに身軽に動けるなら、とっくに海外移住してるでしょ。
今日本にいるのは、日本を自分の居場所と感じている人、大事な人が日本にいて離れたくない人、なんとなくいる人、いたくはないけど外へも出られない人‥‥そういう人たちだよ。みんなが同じ状況じゃないし、みんなが同じ気持ちでもない。
同じ気持ちではないながら、同じ国に暮らす仲間として、助け合える社会にすべきと思うんよ。自分だけじゃなく、みんなが生きるために、自分はなにができるのか。
富裕層だって働く場所が日本にあって、大事な人たちが日本にいて、日本に愛着があれば、増税したってそうそう日本から出やしないでしょうよ。
国という単位は大きすぎて、個人で動かすことはできない。だから政治が重要なワケなんだけど、政治がいつも正しいとは限らないのは、社会情勢を見ていればわかるはずだ。
政府・与党に従っていれば大丈夫、と考える人があまりにも多い。批判は悪だと考える人があまりにも多い。ほんとうに正しいのか、どこかおかしなところはないか、国民が国を見張り、意見することが大事なのだと、理解している人があまりにも少ない。
政治に意見し、批判することこそ、憲法が守ろうとした「表現の自由」だと理解している人があまりにも少ない。
わたしのこの考えだって間違いがないわけじゃないだろう。だけどすくなくとも、わたしはこれが正しいと信じている。自分で調べて、自分で考えた結果だから。そして覆すだけの結果を、だれも持っていないから。
インボイス制度反対。消費税反対。わたしはずっと言い続けるよ!
あと実際に海外流出してるのは富裕層じゃなくて優秀な人材ね‥‥‥‥‥‥
新聞を読む
現在、デジタル(電子)版三紙と宅配版一紙を契約しています。恥ずかしながら、毎日すべてを読むどころか、長期間アクセスすらしない、そんなこともザラです。宅配版は週一回なのですけれど、それも積んでいます。
WJですら積んだわたしですからおかしくない、といえばそう‥‥いいの、いつか読むの‥‥。
デジタル版は、いちばん長いのが毎日新聞、一ヶ月くらい経つのが朝日新聞。そしてしんぶん赤旗を最近ついに契約しました。週一の宅配は赤旗日曜版。こちらは半年以上になります。
毎日は、twitterを見ていて気になる記事が多いのがこの二紙だったのがきっかけ。有料会員じゃないと読めないのがね、気になって気になって。で、だんだんその気になる記事も少なくなってきたんだけど、月々の料金はさほど高くないし、なら継続していてもいいかなと思ったのでした。
朝日新聞も同じ。最近はこちらのほうが気になる記事が多いかな。まだ一ヶ月なので無料期間中です。
しんぶん赤旗はずーっと気になってた! 赤旗日曜版の購読を決めたとき、日刊紙も見本誌をいただいていたんだけど、なんというかまあ‥‥前述の通りぜったい積ん読すると思って控えたのです。
でも最近日本共産党が結党百年を迎え、その日の日刊紙をいただける機会があって、やっぱり気になってしまったのですよね。あと毎朝赤旗を読むスペースを開いてる方がいらしたのも大きかった。わたしも読みたいってなった。
それで電子版を契約したんですけれど、やっぱりわたしは日本共産党が合っているんだなと実感しました。どれもこれも納得してしまう。
これは、はっきり言うと「安心」です。
わたしが正しいと思うことに理屈をつけて補強してもらっているような感覚。だれから見ても正しい・正しくないじゃないんですよ。わたしはこうあることが正しいと思っている、これは間違っていると思っている、それに同意してもらっている。これ、すごく安心します。
‥‥と書くとまるで怪しい宗教みたいですけれども、そもそも政党を支持するってそういうことだと思うんですよ。わたしはこの党の考えが正しいと思うから支持する。そうでしょ?
もちろん「積極的に支持しているわけじゃないけどほかにないからここ」という支持の仕方もあります。でもやっぱり、「ここだ!」っていう政党があるならそれがいちばんいい。
最近は三紙を読み比べしています。
赤旗は信用しているけれども、違う見方も知っておきたいし、なにより一紙だけじゃわからないこともたくさんある。気になる記事が少なくなったと書きましたけれど、毎日の記事はわかりやすいです。たぶん、読者が知っていることを前提にしていない。だから、わからない、が、わかった、になる。
結論、どの新聞も切れないな、ってところ。
へへ‥‥こうして得た知識で作った世界観でファンタジー書くんだ‥‥見てろよ世界!
tweetまとめ7/22
政治的な出来事の愚痴tweetを整理したい&でもこの世から消したいわけじゃないのでここにまとめておきます。
7:50~
なぜ円安が進むのかを理解できた
物価上昇に揺れる欧州 独自の緩和路線貫く日銀 円安はどこまで | 毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20220721/k00/00m/020/367000c
20:27~
わたしは金の亡者なんだけども、それゆえ「お金がないと生きられないのはおかしいのでは」と考えているんだよね だって人間に必要なのは食べ物なんだよ。人間らしい生活に必要なのは衣・食・住。お金はそれを手に入れるための対価でしかない 経済のために国民の生活を犠牲にしてはいけない
今物価が高騰しててさ、生活が苦しい人はますます増えているのに、何度も言うけど介護保険料に利用者負担まで増額。社会保障は財源はどこからとか言うけどさ、国民に納めさせる税金、その財源はなんだと思ってるの 国民にお金を持たせなさいよ 賃金アップがいちばんだけど、取り急ぎは消費税減税だ
給料上がらないうちからむしり取られた結果、売れるのは安かろう悪かろうの品ばかり 買うほうも売るほうも貧しくなる てかさ、法人税も所得税も住民税も、所得に対する税じゃん? 所得が上がれば増えるわけじゃん? なんでみんなの収入が増えるようにってやらんのかわからない
※副業推進はできるできないの個人差が大きいし、生活のために副業せざるを得ない状況が解決されない限りは労働力の安売りでしかないので対策にならない
お金のことと、働くということ
最近、お金についてよく考える。
なにを隠そうお金が大好きである。創作を趣味として楽しみつつ、これがお金になったらなあなんて考えてもいる。簡単なことではないが、叶えば創作活動も多少は楽になる。
しかし、それ以上にお金が欲しい。原因はわかっている。お金がないと生活から自由がなくなるからだ。
幸い食いっぱぐれることなくここまでこれた。実際のところ一時的にはめちゃくちゃ困ったことはあったが、なんとかなった。学歴もない、資格もないまま生きてきたから、就ける職も限られた。それでも食いつなげてきたのだから、ほんとうに幸運だったとしか言いようがない。
勉強を怠けた過去を悔いることは何度かあった。進学しなかったのも、資格を取らなかったのも自分の選択だ。学歴も資格もあれば就職に有利に働くが、高校卒業当時、わたしはそれをまったく考慮していなかった。幼く、おろかだった。
そんな怠け者でも、二十年も外で働いていれば自然と学ぶものである。学歴や資格がすべてではないし、生まれ持った能力の違いもある、学歴や資格がなくても生活に事欠かないくらいの給与をもらえる仕事には就けるべきだ。逆に必要もないのに大卒を選んで採用し、その割に給与が低い企業もある。それはそれで問題だ。
いくつかの職を経験したが、まったく違う職種でも活かせるものはある。どこにだって変わった人はいるし、だれだっていい人になったり悪い人になったりする。感じることのすべてはわたしの都合、わたしの主観である。
お金は裏切らない。いい人にも悪い人にもならないし、初心者にも経験者にも同一の存在だ。ただし変わり者ではある。
この一年半。新型コロナ禍で、株価は急激に下がり、急激に上がった。金持ちたちは一喜一憂し、今は衆議院選挙をじっと見守っているだろう。けれど、ほとんどの庶民には関係のない話だ。
株に縁のない庶民は、いつ新型コロナが落ち着くのか、自分や家族は感染しないだろうか、緊急事態宣言はいつからいつまでなのか、今月の給料はいかほどか、ボーナスは出るのか――などと、ハラハラしながら働いていた。あるいは働くこともできず、就職先を探していたかもしれない。お金がなく、生活が困難になり、食糧支援などには以前よりも長い列ができたと聞く。
一方、オリンピック・パラリンピックでは、無観客試合となったために、ボランティア用に用意された弁当が大量に廃棄された。
おかしくない?
「働かざる者食うべからず」という言葉を考える。いつから言われる言葉なのか知らないが、食べ物がない時代であれば、それは仕方のないことだったのかもしれない。でも、じゃあ、働くってなんだろうか?
「働く=金を稼ぐ」になっていないか。自民党は財政健全化を改憲案に盛り込んでいる。なにかというと民営化、経費削減という。現在の消費税は10%で、このまま自民党政権が続けばインボイス制度の開始も待ち構えている。とにかく税金をむしり取り、それでいて出費は抑えたい、金のかかる事業はしたくないという姿勢が見えてくる。
公共事業が金儲けに走ること自体間違いなのだが、それにしても金・金・金だ。金にならないことは無駄とでも言いたげで、実際、世の中がそのように傾いているような気がしている。
しかし、お金にならない「働き」は、お金になるそれよりずいぶん多い。
わたしはひとり暮らしで、外で働きつつ、家のことも当然自分でこなさなければならない。そして外で働いたことには給与が支払われるが、家事にはない。むしろ、料理にせよ掃除にせよ洗濯にせよ、材料費も経費も払っている。人件費はタダということにされている。当たり前だ。わたしが受けるサービスをわたしが提供したにすぎないのだから。
しかし、お金になってもならなくても、「働き」には変わりないはずだ。
「働く=金を稼ぐ」と「働かざる者食うべからず」は一見まっとうなようで、非常に危うい思想だ。これが合わさるとなおまずい。金を稼ぐことが正義となり、倫理観が置き去りになる。
そもそも「金持ち=よく働いた者」でもない。生まれながら、たまたま資産があった人もいるだろう。働かなくとも暮らせる人だって世の中には存在するのだ。そういう人たちを羨ましいとは思うが、憎いとか、いてはならないと思ったりはしない。
しかし、しかし。だからこそ、金がすべての世の中にしてはならないのだ。財産の有無は、個人の優劣を表さない。
とはいえ、すでに金がすべての世の中だ。だから必要以上に欲しいと思ってしまっている。そんな自分を醜いとも、そう思って当然だとも考えている。
雨ざらしの秘密
『「表現の自由」の守り方』を読んだ
ずっと前に購入していたのだけどやっと読んだ。買ったきっかけは表現の自由について考えたいからだったけど、読もうと思ったきっかけはなんだったかな‥‥ああそうそう、これだ。
「政治的中立性」ってなんだよってのと、こういった展示会の後援を行政が断る背景ってなんなんだろうっていう疑問。
あいちトリエンナーレの騒動が尾を引いているのかと思ったけど、以前からのことのようなのでどうやら違う。
どちらにしても、行政(権力)側が政治性を理由に承諾する・断るを判断するのはよくないなあと思う。表現の自由に影響が出る。
とにかくそれでようやく読んでみようとなったんだけど、まあ~落胆した。これで守られたのは表現の自由ではない。コミケだ。
コミケを守ることが悪いと言っているんじゃない。コミケを守っただけのことを、表現の自由を守ったと言ってしまっていることがよくない。
そもそも、なにを問題として表現の規制がされようとしているのかの認識が間違っている。
この本。まず謎の小説から始まる。
小説の舞台は表現が規制されたif日本。主人公は一応はプロデビューを果たした女性漫画家。しかし表現規制により思うように作品を発表できない。
もうね、ここから認識が違うの。
・女性の作品のテーマは「家族からの虐待」「義父からの性的関係の強要」なんだけど、これが原因で、出版社から「うちからは出せない」と言われてしまう。
・女性の人権を守るための規制のせいで、同じ女性である自分が職を失い、国を追われようとしている。
はあ~理解してないんですねって感想。
もし表現規制が進んでも、テーマがこれってだけの理由で規制されることはないでしょう。規制されるとすれば、虐待や性関係の強要を美しく肯定的に描いてしまった場合です。
そしてよく言われることですが、「女性の人権活動家が批判している仕事をしている人の中にも女性はいる」っていうやつ。だからなにって話なんだよね。
男性はそれが男性というだけで、間違ったことをしている人を許すのでしょうか。
もっとも、この物語の場合は作品を規制された理由に納得がいかない。この女性漫画家が批判されるいわれはない。現実の訴えをねじ曲げて利用し、女性の人権活動家をあたかも主人公の敵かのように描いている。
まあ~ひどい。
児童ポルノについて。
実在しない児童は守られるべきなのか否かという話なんだけど、これ、先に”外圧”とやらの話をすると見方ががらりと変わるんだよね。
まずね、国連人権理事会の意見を、意図的なのかなんなのかわかんないけど、若干ねじ曲げているの。
154Pより
現実の加害行為が行われていないにしても、ヴァーチャル児童虐待記録物によって児童に対する性虐待を許容するような内容が示されることで、そうした行為に対する破壊の許容度を上昇させてしまう(国連人権理事会 特別報告者マコド・ド・ブーア=ブキッキオ氏)
が、
マンガ・アニメ・ゲームで架空の児童の虐待が描かれると、児童の虐待行為を社会が許容するようになってしまう、とブキッキオ氏は主張している
と言い直している。
見比べてもらえばわかると思うけど、意味がちょっと違うよね。
「風と共に去りぬ」がなぜ問題になったのか。奴隷文化を肯定的に描いていたからだ。では性虐待の描写が問題になるのはどういうとき? 肯定的に描いたときでしょう。
著者の解釈では「許容するような内容が」が省略されている。そしてそれはそのまま、冒頭の小説に反映されている。
まったく間違っています。
さて、ブキッキオ氏の言い分を理解してからページを戻り、児童ポルノ禁止法について考えると、なるほど、実在しないからといって許容するわけにはいかないようだ、となる。
じゃあなぜこの順なのか。問題の本質を理解させたいのではない、あくまでコミケを守るために、自分の意見が正しいように見せかけたいだけなのだとわたしは感じた。さすがですね。
もっとも、ここでの著者の言い分、本来は実在する児童を守るための法律というのは正論ですし、具体的に働きかけたのは功績です。
コミケを守りたいだけと感じた理由は、一次創作者に対する配慮が感じられないから。著作権非親告罪化がもっぱら二次創作について語られている。
たしかにコミケや同人誌即売会は二次創作が占める割合が多いようだけど、もともとグレーなわけだよ。さまざまな事情があって黙認されているわけだよ。
でもなんか、この本だと「二次創作が漫画文化を支えてきた」とでも言いたげ。もうちょっと、こう‥‥配慮できなかったのか。一次創作者に対するメッセージはないのか。
「言葉は選べという話」で触れたはてブの記事、言葉選びはアレだけど、訴えたいことには共感する。作者それぞれが自分の作品への気持ちを、もっと言えるようにしてほしい。
そうしないと「二次創作されたくなかったら発表するな」がまかり通るようになるぞ。冒頭の小説の日本よりもっと近いぞ。
これは悪口ですが、おおよそが著者の「言質取ったぜ!」「言ってやったぜ!」みたいな武勇伝で胸焼けがする。
あと自民党の改憲案、本当にダメダメだな。なんで憲法が国民の権利を制限するんだよ。憲法は国の権限を制限するものだぞ。そこ間違えるな。
ついでに議員どもよ、民間の創作物を一国民が批判しているだけのことにいちいち「わたしは支持します」とか意見しなくてよろしい。ツイッターって同じ意見の人が集まりやすくて、そうするとリツイートやいいねで盛り上がりが数値で出るから錯覚するんだろうけど、どんな批判であれ一国民の個人的な感想だ。
引き換えあなたたちは権力側だ。憲法で縛られる側だ。国民の持つ表現の自由を保障しなくてはいけない側だ。支持して当たり前だ。
というわけで、肝心の「表現の自由」についてはろくろく学べなかった。
まあ四年も前の本だし、今は著者も所属が違う。多少はアップデートされただろうか。児童を守るとかには熱心に動いているようだし、そういう方向で期待したい。
カルラとアルキメデス
・ファンタジー
・人類が減少し、獣人が支配する世界
・カルラは数少ない人類の生き残り。なにかと色眼鏡で見られる。
・アルキメデスはフクロウの獣人。獣人の中でもフクロウは賢いとされるが、同時になにかと蔑視される。
pattern01)未来。かつて人類が開発したシステムを修理するため、アルキメデスは僻地で隠れるように暮らしている人類を訪ねる。そこで出会ったのがカルラだが、人類だからといってシステムがわかるわけではない、人類をここまで追いやったのはそちらなのになにを都合のいいことを、と一蹴。
システムが動かなければ世界は危機に瀕する。目的を果たすため、アルキメデスは奮闘する。
pattern02)現代。カルラは市役所に勤めている。しかし人類は被差別種族であり、多の種族からは特定種族雇用法対策と見られ、不当な扱いを受けている。
そこへ新採用されたアルキメデスが配属となる。本来夜行性の種族であるアルキメデスも昼は役に立たないと偏見を持たれるが、カルラを初め、能力を正当に評価してくれる人たちに囲まれ、すこしずつ力を身につけていく。
pattern03)過去。アルキメデスの育った里では呪いやたたりなどが信じられている。十になるくらいのころ、不作による飢饉に見舞われ、妹を失った。儀式のための生け贄に選ばれたためだが、フクロウの獣人である一家に対する嫌がらせだろうとアルキメデスは疑っている。里に対して不審を抱き、成長すると里を出たい一心で旅に出た。
ひょんなことからカルラと出会い、身の上話をすると、生け贄の迷信に反応を示される。忌むべき根拠のない風習であると非難するカルラと、同意はするも里を恨む気持ちが強く助けたくないアルキメデス。
里は再び飢餓にあえぐ。
これ最後のやつ獣人である必要ないな。
表現の自由→倫理
表現の自由についてまだまだ考えている。
一つ目のツイートはリツイートさせていただいているんだけど、まあリプライにも勘違いしたのがいくらか散見されるね。
ざっくり調べ直したんだけど、憲法は「国民が決め国が守るもの」、法律は「国が定め国民が守るもの」。
国民はだれのことかわかるよね。じゃあ国ってだれかって話なんだけど、権力者、公務員。政治家はその代表だよね。
表現の自由は憲法で保障されているんだから守れ! というのを、一国民に言うのはおかしいのよね。
表現の自由についてtwitterをリサーチしてると、未だに「ラブライブ!」のみかんのポスターや、これまでわたしは触れていなかったけれど、年末にあった赤十字の献血ポスターの話を引きずって、「フェミニストがこれらを撤去させた」なんて言っている人たちが多い。そのなかに議員が含まれているから頭を抱える。
本人たちは論理的に話し、冷静に訴えているつもりなのかも知れない。でもわたしの目には滑稽に映る。
表現の自由を訴える場面はほかにもあったんだよ。厚生労働省の「人生会議」のポスターは一日で撤去されているし、映画「バイバイ、ヴァンプ!」も批判を浴びた。「サラッサラのツヤッツヤになりたい」のポスターも対応が早かった、助成金の取り消しがなされた映画「宮本から君へ」なんて、まさに国が表現に口を出しているじゃないか。なぜ議員たちはそれらに触れず、いつまでも「ラブライブ!」と「宇崎ちゃん」なのか。
もうちょっというと、「ぼくのヒーローアカデミア」の騒動も絡めてたりはする。悪役の名前が、かつての悪意ある隠語だったというアレだ。
とにかくその三点ばかり。なぜなのか。
だいたい察しはつく。
○コンテンツが漫画・アニメ・ゲームであること
○批判者がフェミニスト、あるいは外国人であること
これだろう。
いちおう断っておくと、彼ら(表現の自由を守れと声高に叫ぶ人たち)がフェミニストと呼んでいる人たちは、必ずしもフェミニストではない。なぜなら彼らの基準はとっても雑で、「自分の好きなコンテンツにケチをつける女性はフェミニスト」なのだ。実際に批判をした人がフェミニストかどうかは、はて、定かではない。
批判するやつ=フェミニスト、としておくのは楽だよね。
フィクションとノンフィクションの区別がつかないんですか、なんてあおりをよく目にする。フェミニストとそうでない人の区別もつかない人に言われてもね~その批判が表現に対するものかコンテンツへのものなのかの区別もつかない人に言われてもね~ってところ。
多くの場合、フェミニストはコンテンツを批判していない。表現方法がポスターにそぐわないと言っているだけだ。なにも難しくはない。
まあとにかくだね、日本国内において嫌われやすい属性の人たちが自分の好きなコンテンツを批判している。批判者を敵認定し、騎士のように振る舞えば、そりゃあ称賛されるでしょうよ。
滑稽だよね。
でも国民の総意だと思わないでくれ。表現者の総意だと思わないでくれ。よくない表現は批判され、改善されていくべきだ。すくなくともわたしはそうしてほしい。下手に擁護されたくない。ましてや批判した人を怒らないでほしい。
確固たる信念を持って、覚悟を持って書いたなら貫くよ。そうじゃないなら恥ずかしいよ。ズボンのチャック開けっぱなしなのを指摘してもらったのに「失礼だ!」なんて言わないでしょ。
批評を受けて作品をどうするか、それも表現者の自由じゃないだろうか。表現者が修正すると決めた、撤去すると決めたとき、表現の自由を守ると言う人たちがその選択を批判するのはなぜだろう。
さて、表現の自由を保障しているのは憲法だから、国民は他人の自由を守らなくてよいかといえば、もちろんそんなことはない。基本的にはやはり自由でなくてはいけない。
ただ、出版でも放送でも広告でも、協会があり倫理がある。そもそも社会そのものに規範、倫理がある。その倫理にもとる内容であれば批判を受けるのは当然だ。じゃあ、倫理ってなんだろうか。
すこし倫理をかじろうと思う。じっくり学んでいる余裕はないかもしれないので、かじる。
こうしてまた資料が増えるのであった。
表現の自由を守れ~フェミは敵だ~みたいなことをわめいていた議員さんたちがツヤッツヤのサラッサラとか宮本から~とかはガン無視なの、本当、あなたたちの表現は都合がいいですねって気持ち。
これがなぜだめかわからない人もいるみたいだけど、これはだめだよ。
なんというか、作り手のゲスい気持ちがにじみ出ているんだよ。あーいい写真あった、こういうコピーをつけたらウケそう、みたいなさ。
ウケを狙うのは悪くない。ただ、やるなら自分でモデルを用意して撮ったほうがいい。
そこまで配慮しなきゃいけないのかって言ってる人がいるけど、配慮じゃないよ。配慮ってなんだよ。ネタにしないであげましょうねってこと? それおかしいよね、何様だよって話だよね。
問題ないって言ってる人が出てきたけど、問題あるかないかを決めるのはサービス提供側(この写真はストックフォトの素材)なので、勝手に判断したらまずい。
こういう問題に関して日本は遅れているので、あちらの感覚でOKかNGかを、わたしたちは判断できない。
とりあえずそういうのを抜きにして、わたしも、この広告はだめだと思った。
わたしは、わたしたちはきっと、どこにでもいる特別な存在。