フィクションの人権問題 | ひとりあるき

フィクションの人権問題

おはようございます。あなたのトリコ、あなたもトリコ、白鳥です。

新型コロナウィルスが世界で猛威をふるうなか、アメリカでは人種差別による事件が発生、抗議デモにまで発展しています。
そして名作「風と共に去りぬ」がこのような対応となり、twitterは騒然、比較的長い時間トレンドに載っていました。

見出しのみで誤解をしている人が多いようですが、配信停止は一時的なもので、注釈をつけて再開する予定とのこと。

名作といわれる作品であっても、現代の価値観では問題になる描写が含まれる、ということはよくあります。かなりあります。漫画なんかわかりやすいですね、わたしの好きな石ノ森作品もそうですが、注釈がついています。作品そのものを修正しない理由としては、作者が故人のため、また修正することは必ずしも問題解決にならない、というのが主です。
その通りだと考えます。

芸術というものはその時代をよく表します。映画・漫画もそうです、小説、絵画、音楽、ダンス、等々‥‥流行もあります、風潮もあります、法規制もあります。現代では考えられないようなものもあるわけです。たとえばアイリッシュダンスは踊ることを禁止されて誕生しました。音楽も特に戦中戦後はいろいろありました。
そのなかで生まれたものですから、当然、現代の価値観にそぐわないものもあるわけですよ。でも名作と呼ばれるものもある。

ここからが問題なのです。じゃあそのままでいいのか。よくないなら、作品を封印しなくてはならないのか。

創作者は常に勉強をするものだと思っています。どうすれば作品がおもしろくなるか、だけではない。今までどうであったか。現在、これから、世界がどうなっているか、いくか。自身の描いた作品が、世間の目にどう映るか。
そんなの気にするな、好きなものを好きなだけ書けばいいんだ! ‥‥も、だめではないけど、わかっていて書くのとそうでないのとでは、出力はまったく変わってきます。

出力の違いは入力の時点で出てきます。
先に述べたとおり、芸術は時代を表します。映画なんか服装から建築から、ほんとうに参考になります。ゆえに観るんですけど。
この時代はこれが当たり前だったが今は問題視されている。それを知っているのと知らないのとでは、作品の捉え方が変わってくる。

人権問題は慎重に扱うべき問題です。だけどだれでも知っていることではない。そんな問題があることを知らない人も多い。作品を提供する側は、そこも考えないといけない。
表現には責任があるのです。

年始辺り、表現の自由についてつらつら考えておりました。
表現の自由に関してはね、「読み手・見る側の問題」としたい人も多く見受けられるのです。「こういう表現を真に受けるやつがいたら、それはそう読み取ったほうが悪い」ってやつですね。
これも一理あるのですが、一理だけです。

どんな人が見るかなんて、作り手はわからない。めちゃくちゃ頭のいい人もいれば、ちょっと、すごく残念な人もいるわけです。たしかにそこに作り手の責任はない。
でもさ、その程度の考慮もできないのか、って思うわけですよ。いろんな人が見るんだから、いろんな視点で作品を見てみよう、考えてみよう。客観的に見るってそういうことだと思う。
問題提起の意味で残すわざと表現もあるでしょう。だけどなんとなく、こういうものだからと書いたものが問題になってしまったら、どうする?

そういうことも実際にはあります。記憶に新しいところだと「ぼくのヒーローアカデミア」の登場人物の名前問題。今でこそ検索すれば問題点がすぐ出てくるけど、あの前後はそういった記事は出てこなかったことは書いておきたい。
今もまたちょっと調べたくらいじゃ出てこなかったわ。

世の中のすべてを知り尽くしておくことはできない。どれだけ問題になるか、どの程度の対応で回復できるかは、信用によるよね。
普段から真摯に向き合っているか否か。たまたま一つ取りこぼしたとして、批判は出るだろうけれど、誠実に対応すれば理解してもらえる。だけど常日頃からでたらめなことをしていたら、重大な過ちを犯したとき、きちんと対応したとしても、誠意を信じてもらえるだろうか。
見る側の責任ももちろんあるよ。だけどそれは、作り手の不勉強を許すものじゃない。

芸術作品ってさ、基本的に美しく・おもしろく作られるのよ。そのなかに、作り手が見逃している「問題」があったとする。だけど美しい・おもしろいから、見る側のほとんどがそのまま、「問題なく」受け取ってしまう。
それが積もり積もれば、問題のある価値観ができあがってしまいます。だから「問題だ」と感じた人は声を上げる。

怖いのは、意図的におかしな価値観を仕込むこともできるってこと。フィクションだったものがいつのまにかリアルにされてしまう。現実が書き換えられてしまう。
これも、問題だと言わなくてはならない。

表現の自由を守りたいから、表現について、世界が抱える問題について、真摯に向き合い、学んでいかなくてはいけない。
芸術は触れた人の心に少なからず影響を与えるのだから。

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