表現の自由について | ひとりあるき

表現の自由について

おはようございます。あなたのトリコ、あなたもトリコ、白鳥です。
このあたりについて怒っております。

近ごろ「表現の自由」が氾濫してませんか。

名指しで行くよ。

「ラブライブ!サンシャイン!!」JAなんすんコラボ・西浦みかん大使のポスターの件
映画「バイバイ、ヴァンプ!」の騒動

どちらも主にtwitterで流れを見ていただけで、みかんを買ってもいなければ映画も観ていません。見ているのは批判、それに対する反論、そしてファンの反応です。
買ってから言え、見てから言えと思われるかもしれないけれど、わたしがこの記事で訴えたいのは「表現の自由とはなにか」だ。落ち着いていただきたい。

結論から言うと、両者とも作り手が悪いです。

手っ取り早くまとめを読みたいかたはこちら。結論はこちら

自由にもいくつか意味がありますが、「表現の自由」の「自由」は「責任が伴うタイプの自由」です。「表現の自由! おれは自由! なにをしようが勝手だ、文句言うな!」は通りません。表現者には責任があるからです。

さて、わたしが見ていた三つの視点についての感想を簡潔に。
・批判‥‥妥当。 ※行き過ぎた行動は除きます。キャストやスタッフ等を個別に責めるのはおかしい。
・それに対する反論‥‥ほとんどのばあい論点がずれている、あるいは冷静さを欠いている。
・ファン‥‥かける言葉がない。

・「ラブライブ!サンシャイン!!」JAなんすんコラボ・西浦みかん大使のポスターの件

みかんのポスターについて、「スカートが透けて見える」という意見がありましたね。だまし絵的、というものも見ましたが、本当にそれです。
「どうしたらそう見えるんだよ」という反論もありましたが、すこし離れて見てみてほしい。正直、わたしも「さすがにそうは見えない」と思いましたが、すこし離れている写真を、サッと見た瞬間、アッ? と思いました。
人の目って簡単に騙されます。
・遠目では太ももの輪郭とプリーツのラインが絶妙に繋がって見える。
・奇妙なところに影がある。
この二つの要因が合わさって、透けたスカートに見えてしまうのです。近くで見たらわからないことです。
ポスターの性質上、遠目で見ることは多いでしょう。無視できない意見です。

最も多いのは、あんなところに影はできない、という意見でしょうか。
制服のスカートをはいたことがある人はわかると思います。夏用の薄いスカートでもああはなりません。まして冬。生地は厚いです。PRしたいみかんがなるのは冬ですから、これは夏なんです! は通用しませんね。
・風が吹いているんだ説。髪がなびいてないので無理筋。
・静電気説。これ、実写で考えていただきたい。ポスターにする写真を撮影するときですよ。モデルはひとりです。スカートが足にまとわりついてしまっている。それにカメラマンもスタイリストもほかのスタッフも、だれも気づかないってことはないですよね。ないんですよ。
もうすこしわかりやすく書きましょうか。 選挙に出ます、ポスター作りました、貼りだしたら鼻毛がごっそり出ていると話題になりました。なんでだれも気づいてくれなかったのってなりません?  そういうレベルです。
カメラマンもヘアメイクもスタイリストもポスターのデザイナーもプロですからね。それがプロの仕事かよってなるでしょ。

「なんでそんなところ見るんだよ」という反論がたくさんありました。「そこに違和感があるから」としか言いようがない。構造的にありえない影が、状況的にありえないにも関わらずついている。目が行きますよそりゃ。
もう一つ言うと、そもそもスカート丈が極端に短くてギョッとします。このあたりは、この手のアニメ的表現丈に慣れすぎた人は違和感がないかもしれませんね。こちとらアニメをほとんど見ないのでめちゃくちゃギョッとします。

町中に貼られたポスターを見るのは、アニメを見慣れたかたがたばかりではないのですよね。だれに向けた表現なのかは重要なところです。

押さえていただきたいのは、みかんのポスターを批判している方々が問題にしているのは、基本的にここ(スカートの丈と謎の影)だけってことです。「ラブライブ!」という作品が悪いわけでも、コラボが悪いわけでもない。
「ラブライブと沼津はずっとコラボしていたんだぞ、なにを今さら」という指摘はびっくりするほど的外れです。

・映画「バイバイ、ヴァンプ!」の騒動

「バイバイ、ヴァンプ!」については予告編も本編も見ていません‥‥いや予告編は今見た。あらすじがまずひどいんだけど、役者にこれだけのことをさせてしまったのか。いたたまれない。
出演者のファンのかたが書いた記事を読みました。ほかのかたの記事も。ラジオで配信しているかたもいらっしゃいますね。

これらのリンクは勝手に張っているので問題があったら消します。

わたしの考える「表現の自由」と「責任」

この二者について、わたしが共通して感じたのは「キャストがかわいそう」です。

みかんのポスターについては、下半身に目が行く描きかたになっていることに気づかれないままポスターになってしまったこと。
「バイバイ、ヴァンプ!」については、こんな映画に出演してしまったこと。本当にいたたまれない。キスとか裸になるとか、いくら仕事でも抵抗はあるでしょう。覚悟しての出演だと思う。

こういう描かれかたをした、この作品に参加した。そのイメージは今後もついて回るでしょう。わたしが思う「表現の自由」に対する「責任」で、もっとも大きいのはここです。

その表現に参加した人に対する責任。

取れます?

特にみかんのポスターについては、もともと「ラブライブ!」のファンが多く、擁護もたくさんありました。ファンのなかのイメージはさほど変わらないでしょう。でも、「ラブライブ!」を知らない人にはどうでしょうか。
「あ、『ラブライブ!』ってこういう女の子が出てくる、ちょっとえっちな作品なのかな」って思われても仕方がない。
断っておきますが、「ちゃんと見てから判断してくれ」っていうのは通用しないです。生きものには防衛本能ってものがあります。ちょっと見て、自分の好みに敵いそうなら見るし、苦手そうなら見ません。
たとえばわたしはグロを見ません。苦手すぎるから。自己防衛します。

「バイバイ、ヴァンプ!」はもっとひどい。俳優さんはもちろん生身の人間です。もう本当、いたたまれない。

「あなたのことは好きだけど、あなたが関わったあの作品は嫌い」

悲しくないですか。あんなに頑張ったのに。

表現に関わる・参加するということは、よくも悪くもイメージに影響します。素晴らしい作品に参加すればイメージは向上するし、逆なら落ちます。
表現者はそれを熟慮しなくてはいけない。表現のひとつひとつに注意を払うべきなのです。
でもこの二者、どうでしょう。

みかんのポスター。あの奇妙な影をつけなければよかっただけの話ですよね。なぜそこに注意を払えなかったのか。
「バイバイ、ヴァンプ!」。今この時代にこの内容を、世間が許容すると思ったのでしょうか。出演者さんたちは、こういう内容だと承知の上で出演しているのでしょうか。知ったあと、断れる状況だったのでしょうか。リサーチも配慮も足りていない。

批判されたら取り下げ、あるいは適当な謝罪文を載せておしまい。そこに表現者としての信念やプライドは、果たしてあったのでしょうか。参加したキャスト・スタッフの気持ちはどうなるのでしょうか。
これがプロの仕事ですか。

擁護したい人にも言いたいことがあります。「表現の自由を守れ」などといらずらにクリエイターを保護し、批判を「クレーマー」あるいは「やっかいなフェミ」扱いする。しかしなにを批判されたのかをきちんと捉えられていないかたがほとんどです。
視野が狭いにもほどがある。
擁護したい人=ファン ではないです。「バイバイ、ヴァンプ!」はもちろん、みかんのポスターも、「ファンだけどあれはどうかと思う」と呟いてるかたがいます。擁護したい人はそこも見てほしい。
見る側はひとりじゃないです。たくさんの人が見ます。いろんな視点と感性でいろんな意見が出ます。批判だって出るでしょう。当たり前です。
むやみに擁護したって逆効果なんですよ。とはいえ、好きなものが批判されていい気持ちにはなれないでしょう。
お気持ちお察しします。

表現をするすべての人へ

どうすればよかったのでしょうか。
単純です。クリエイターが、脚本家が、監督が、プロデューサーが、責任者が、表現者としての仕事をまっとうすればよかった。
わたしはそう見ています。

「表現の自由」とはなんでしょうか。
世に出す前にもう一度、考えてほしい。その作品は愛されますか。親の欲目ではなく、世間に受け入れてもらえますか。批判を受けたとき、その作品を、あなたは守ってあげられますか。最後まで信じてあげられますか。
表現者としてのプライドを持ってください。胸を張れる仕事をしてください。どうしたらよりよい作品になるのかを常に考えてください。批判を覚悟してください。
「表現の自由」を免罪符にしないでください。

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