ポスターについて考える | ひびのあしあと

ポスターについて考える

未だにラブライブ!のポスター撤去問題について考えている。
そもそもなんだけど、あれは「表現の自由」を争点にするからおかしい。なにが悪かったのか、なぜ撤去されたのか。
スカートの表現(短すぎ・謎の影)が悪かったのはもういうまでもないので省略する。撤去された理由は、単に「このまま掲示していると余計なコストがかかる」ではないか。
このコストとは、労働力のことを指す。
ポスターの目的である商品・みかんの広報・販売促進については、早々に結果が出た。作品のファンを中心に話題が広がり、今後再販したとしても、しばらくは売れ続けるだろう。収入は確保した。
しかしポスターを掲示し続ければ、批判も続く可能性が高い。ここで考えたいのは、沼津市民の生の声である。
これはポスターなので、当たり前だけど、沼津市民が目にする。そして当たり前だけど、沼津市民全員がtwitterをやっているわけではない。沼津に限らず、twitterをやっている人なんて、多くて五人に一人くらいじゃないか。知らんけど。
そしてtwitterをやっている沼津市民のなかにもラブライブ!にちょっと辟易しているらしいかたがいる。twitterをやっていない・ラブライブ!に批判的な人はもっといるはずだ。見えないだけで。
もちろん、twitterをやっていない・ラブライブ!に好意的な人もいると思うよ。あと、よくも悪くも思わない人もいる。
さておき、オフラインでもこのポスターに異議を唱える人がいてもおかしくない。下手をすれば、掲示している施設のスタッフのなかにだって、不快感を覚えた人がいたかもしれない。
掲示し続ければイメージが悪くなり、批判も続く。クレームが来ればその対応に労力を使う。これは想定外の出費だ。
だったら撤去したほうがいいよね。

やっぱりこれは、作り手が悪い。広告を作成した人はプロであると考えられるからだ。なんでもそうだけど、プロであれば過去に学ぶことは必須だ。過去、どのような表現がどういう批判をされ、どういった対応を迫られたのか。プロであれば知っておかなければならない。
そのうえで「批判されてもいい、どうしてもこの表現がいい」というのであれば、それは「表現の自由」だろう。
今回のみかんのポスターは、そうではなかった。不用意な表現であった。

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